感情設計の先に、身体のスイッチがある
空間が人の心に作用する ───
それは、建築をやっている人なら誰しもが直感していることだと思う。
ボクもずっと、心理と空間の関係を意識して設計してきた。
吹き抜け、光、密度、配置、そして視線の流れ
それらが、人の気持ちをどう動かすのか。
心理学の本を読み漁りながら、空間に落とし込む日々が続いた。
そんなある日、Aiとの出会いがあった。
あくまでもコンピュータだし、そこから出てきた回答にはやはり確証はないし
今でも半分疑いながら自分の考えの一助として使用している。
なんというか思考の矯正メガネみたいな感覚だ。
そんな姿勢であるものの、Aiとの対話を重ねるうちに心理学の論文や研究事例を次々に引き出してくれた。
「この実験では人はこう感じた」
「この刺激はストレスを和らげる可能性がある」
そうした知見が加速するように集まり、設計の背景がよりクリアになっていった。
でも、ある時ふと思った。
「これって、ほんとに全員に対する効果なのか?」と。
心理学の多くの研究は、〇〇人前後の男女といった具合に行った調査や実験から導き出されている。
サンプルの属性──年齢、文化、地域性──が変われば、結果も当然変わる可能性がある。
つまり、それは傾向ではあっても確証ではない。
この世界に共通する感情の起点って、本当にそこなのか?
そう考えたとき、ボクの関心は、もう少し確度の高い根拠を求めて、身体の深部にある回路へと向かっていった。
脳の中で放たれる化学的な信号、神経系のスイッチ、呼吸や姿勢に反応する自律系。
それらは、人種や年齢、文化を越えて共有されている、生き物としての共通言語みたいなものだ。
身体がどう反応するか。
その仕組みに目を向ければ、感情の起動にも、ひとつの論理が見えてくる気がした。
今、ボクは心理の先に生理があるという視点で空間を捉え直している。
「この天井の高さが心地いい」の背後に、「なぜ神経系が安定するのか」がある。
「この照明がワクワクする」の裏側に、「どうやって脳の快楽中枢が働いているか」が隠れている。
設計という行為は、感情の演出であると同時に、
身体が持っている感情のスイッチを探しにいく作業なのかもしれない。
そのスイッチの入口に、建築という装置がある。
最近は、そんなふうに考えている。