最後まで作りたくない
日本の古い建物には、ときどき不思議な不可解なものを目にすることがあります。
奈良にある東大寺大仏殿。大きな屋根の上に瓦が少し重ねて置いてあります。
これは葺き残しの瓦といって、この建物がまだ工事中で完成していないことを表していて、完成したあとというのは、そこが頂点なのであとは壊れるばかりになる。
つまり完成していなければ壊れたことにならないという考え方から、あえて瓦を数枚残して完成していない姿にしている。
この話、小学生の時に修学旅行で行った東大寺でガイドさんから教えてもらったのですが、今でも覚えているくらい印象的な話でした。
同じような話は、日光東照宮の山門の柱が一本だけ逆さまになっていたり、昔の大工さんはわざと屋根裏に道具を忘れてきたりして完成を避ける風習がありますね。
で、ですね、ボクはこういった粋な振る舞いというか手法に敏感に反応してしまうんです。
例に出したのは、建物の安全を祈願した厄除け的な意味合いですが、ぱっと見ただけでは、ほとんど気づかない程度のことです。
でも、その気にならなさが、あとからじわっと印象に残ることがあるんじゃないかと考えてます。
きちんと整えようと思えば、もっと揃えられたはずなのに、そうしていない。
そこは、手を抜いた感じとも、無造作につくった感じとも違う、意思があって、その意思が大事で。
こうした感覚は、説明しようとすると、どこか野暮になってしまう気もします。
でも、なぜか心に引っかかる。なぜか忘れられない。
日本の古い建物に残っている、こうしたささやかな振る舞いは、どう作るかよりも、どこで手を止めるかを大切にしてきた結果なのかもしれない。
ボクはそういった建築や空間に強い興味があります。
さてさて。
今日からは設計に時間のかかっていたプロジェクトがついに着工。夏までのエキサイティングな日々がこれからはじまります!
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